侵入的なコミュニケーションが当たり前だと思っていた
こんにちは。
侵入的なコミュニケーションに慣れていることに気づいてきました。
特に2、3回会って付き合いが長くなるとどんどん人と関わることが辛くなってくる要因を整理しました。
- 侵入的なコミュニケーションとは
- 侵入的なコミュニケーションに慣れていた、当たり前だと思っていた
- 自身の態度も相手の行動を誘発していた
- 私も侵入的なコミュニケーションをとるようになっていた
- パーソナルスペースは人それぞれ
- パーソナルスペースを超えて接していたら疲れる
- 疲れたら「少し休みたい」と言っていい
- それでも相手が止まらないなら逃げていい、闘うと終わらない
- 酷く疲弊しないと生きている感覚がしない
侵入的なコミュニケーションとは
パーソナルスペースを超えるコミュニケーションです。
パーソナルスペースを超えたコミュニケーションを取ると相手に不快感を与えます。
言い換えると相手を疲弊させると言えると思います。
パーソナルスペースから学ぶコミュニケーション法 | 医療法人社団 平成医会
私の場合、侵入的だと感じて後から酷く疲れるときは下記のような接し方をされたときです。
- 提案ではなく強い指示
- 自分の考えや感情が絶対だとしつこく主張される
- 私の背景を考慮せず話される
相手コントロールしようとするコミュニケーションとも被るところがあると思います。
侵入的なコミュニケーションに慣れていた、当たり前だと思っていた
コミュニケーションはそういうものだ、
人と関わるのは酷く疲れるものなのだと、
思っていました。
侵入的なコミュニケーションを受け入れないと深い人付き合いができないと思っていました。
改めて考えると深い付き合いとはなんなのか。響きはいいけれど。
自身の態度も相手の行動を誘発していた
私の態度も相手の侵入的なコミュニケーションを誘発していたと思います。
私以外の人と接する時は侵入的なコミュニケーションを取らない人も、
私と接する時は侵入的になってしまいがちなのではないか。
なぜなら私が侵入的なコミュニケーションしか人と接する方法を知らないからです。
私とコミュニケーションをとろうと思えば、侵入的なコミュニケーションをとることになるわけです。
日本語しか知らない人には日本語で、英語しか知らない人には英語で話さないとコミュニケーションがとれないのと同じです。
私も侵入的なコミュニケーションをとるようになっていた
侵入的なコミュニケーションで接せられたことが多かったので
私の他人への接し方も侵入的だと思います。
パーソナルスペースは人それぞれ
パーソナルスペースは人それぞれです。
まず相手を深く知ろうとするよりも、パーソナルスペースがどれだけ広いのか狭いのか探ってみるほうが相手も自分も疲れないのではないかと思います。
パーソナルスペースを超えて接していたら疲れる
パーソナルスペースを超えて付き合うと疲れます。
私は人付き合いとは後からどっと疲れるものだと思っていました。
そうならない接し方もありました。
疲れたら「少し休みたい」と言っていい
疲れそうならその前にやめればいいです。
オンライン飲み会の区切りが引かれるとほっとする人も多いと思います。
多くの人がどこかで「そろそろ一人になりたい」と思うときがあります。
「疲れたので少し休みます」と言えばいいだけです。
それ以上続けて後には疲れしか残りません。
それでも相手が止まらないなら逃げていい、闘うと終わらない
相手が止まらないなら、少し強引でもいいのでその場から去ればいいと思います。
向き合って距離を変えないうちは終わりません。
見えない壁を作って相手の声や表情が入ってこないようにします。
明日や明後日のためにパーソナルスペースを死守しましょう。
酷く疲弊しないと生きている感覚がしない
疲れないような人との接し方について書きました。
でも酷く疲れないと生きている感覚がしない、
なぜだか落ち着かない、焦燥感、これでいいのだろうか、
という不快感も出てきます。
自分を苦しめていないと出てくる、この謎の不快感については
これからも整理していこうと思います。
ありがとうございました。