墜落避けて低空飛行

ホワイト企業のはずだけど仕事が酷く憂鬱。疲れ切ってしまわないように日々試していることを書くブログ

親からよく言われた「勉強ができても仕事ができなかったらダメだ」

こんばんは。

 

親からよく「勉強ができても仕事ができなかったらダメだ」と言われました。

「高学歴のやつらは仕事ができない」とも親はよく言っていました。完全に僻みですね。

 

「勉強ができても仕事ができなかったらダメだ」

ニアリーイコール

「周りの人間に認められるような仕事をしないとダメだ」

ともとれるのですが、現実は、認めてくれる人は非常に少ないです。

認められようと勉強を頑張っても、仕事もできないとダメだと言ってくる人のように、

「もっともっと」と言ってくる人や「ここができていない」と言うだけで、労いや感謝、賞賛の言葉を言わない人のほうが多いです。

 

仕事で優秀で認められることより重要なことがあると思います。

 

毎日に健康に仕事して地味で当たり前のことを当たり前に終わらせていくことです。

 

これが一番難しいけれど大事なことだと思います。

そして付き合うべきは地味で当たり前のことを当たり前にやり続けていることに気がついてくれる人だと思います。

あれもこれも頑張れと言ってくる人とは私は距離を置きます。というか近くにいることができません。とても疲れるので。

結果が出るか出ないかは関わる人の性格や好み、機嫌によります。評価する人もいれば評価しない人もいます。仕事に「これだけやれば成功!」なんてものはないと思っています。

「たくさんの人に認められないと価値がない」と思わないくていいと思います。当たり前のことにとても価値があると気づいていない人のほうが多いです。毎日綺麗な水が蛇口をひねればすぐ出て、電気もついて、Youytubeが毎日見れることにいちいち感謝はしません。でもこれはすごいことです。

周りの人間に褒められることより、自分のケアの時間を確保して行動をおこすほうが生きている時間を楽しめると思います。

ありがとうございました。

なかなか体が動かないことを卑下する必要はない

こんばんは。

朝はもちろんなかなか起き上がれません。急に体が動かなくなることもあります。

体は動かなくても時間は過ぎていきます。焦ります。

ただ、これ以上動くと危険な状態になるから休め、という体からのメッセージです。そのまま無理やり動かし続けると心の病気はもっと酷くなりますし、心の病気以外の病気にもきっとなるでしょう。

体が動かないときはじっとするべきです。自分が安全だと思っている環境でしっかり休めばじっとしているだけで、体は元気になって動きたくなるはずです。

でも頭は忙しくて休んでくれません。取り残されたような感覚になって焦ります。罪悪感や劣等感、自己嫌悪でいっぱいになります。

仕事の資料は客観的にまとめることができるのに、自分の状態や体は客観的に丁寧に観察することがなかなかできません。

まずは体が動かないことを責めずに自分の体の観察を一日に30秒でもすることからやっていこうと思います。

調子のいい日はマインドフルネスの時間を長く撮ろうと思います。

自分の体の感覚に注目することは、勉強することより難しいと思います。本当に難しいです。

ありがとうございました。

 

試しに仕事への執着を捨てて、会社から支給されるお給料をサンドバッグ料だと思うことにしてみる

こんにちは。

新卒から勤めている会社でそろそろ中堅です。

しんどいながら頑張ってきましたが、仕事は全くおもしろいと思えず、全てが中途半端で、能力が上がっているとも思えません。派遣の事務職の方と同じ仕事をしています。あとは社内イベント企画です。仕事でパリピを演じることにも疲れてきました。

自己研鑽もしていますが、実務は下請けの人たちにやっていただきます。管理と資料作成と調整で神経がすり減り新しいことを勉強する気が湧かなくなりました。

どうせ仕事をするなら、やりがいや充実感、できることが増えている感覚が得たかったです。今でも得たいです。でも試しに仕事への期待と執着を捨ててみることにしました。試しに、なのでまた得ようとし始めるかもしれません。

能力を発揮できていない、仕事で貢献できていないという思いがあり、毎月給料をいただくのも恐縮で、会社のおじさまの心ない言葉にも萎縮するようになっていました。お給料は彼らのサンドバッグになっているという、過酷な労働の対価だと思うことにしました。おじさまたちのストレスに捌け口になるという労働を全うしているわけなのだから必要以上に萎縮する必要もありません。サンドバッグのように堂々と場にいればいいです。

ただ味気ないというか、心許ないので、仕事以外にこだわるものを仮に立てることにしました。

音ゲーとキックボクシングです。どちらも仕事と違って少しずつ上達が感じられます。とても限られた範囲の話ですが、自身が少しだけ良い方向に向かっていることを感じられます。幸せを感じられます。

お給料と会社の制度は私にとって生きていくのに必要ですが、会社の仕事の中身はしばらく私にとって必要ではありません。

仕事内容にこだわるなという人もいれば、自分の仕事にこだわれと言う人もいて。

どっちやねん。私は持論を語りたいおじさんとは話したくない人です。

ありがとうございました。

休むことへの罪悪感で頭の中は忙しいけれど体は動いていない

こんにちは。

勉強しないと、勉強しないと、といつも思っているんですが、実際は家事をやったり別のことをしています。

集中することもなかなかできず、先の計画を立てる気力もありません。

休んだほうがいいのだと思いますが、休むことへの罪悪感が強いです。

これだけ何もやっていないのにまだ休むのか?と思います。

頭の中は忙しく体は動いていません。

行動だけ客観的に見ると休んでいるのと変わりません。

どうしてこんなに頭の中と体がずれていくのか。

腕立て伏せをやります。

ありがとうございました。

一人で泣いていると体が温かくなり力が巡るのを感じられる

こんにちは。

何度か書いていますが、泣くことについて。

泣いている暇があったら行動しよう、という人もいます。もちろんそうすることが物事が早く解決することもあると思います。

ただ泣いてすっきりしたほうが次の行動に自然と移せて長く動ける人もいると思います。私は泣いたほうが体が軽くなる方です。

泣くと恥ずかしいので我慢しようと、泣いているけれど体は硬くすることが多かったです。でもソマティックエクスペリエンスのセッションを始めてから、誰も見ていないところで恥の気持ちを脇に置いて泣いているときの感覚を感じられる時間を作るようになりました。

泣いているときの感覚に集中するとそれは不快なものではありません。胸のあたりは力強く上下し、全身が温かくなり、体の中で力が巡るのを感じることができます。

また頭はいろいろな考えを浮かべることにまだ頑張れても、体が本当に疲れていることが確かにわかります。これ以上頭が頑張っても、体が動かなければ行動できなければ、消化できないことが積み上がっていくだけです。

とても辛くてもそこから逃げることは確かに不可能だった子供の頃、頭で辛さを誤魔化して頑張ろうとしていた癖が残っていることを感じられます。もう10代の頃のように体力はないので昔の行動パターンは変えていかないともう保ちません。また今はもう大人なので逃げられます。もう体が無理だと言ったら体がしたいようにさせてあげられるよう頭を使いたいと思います。まだ練習中です。

ありがとうございました。

体の感覚が不快でしょうがない

こんにちは。

今受けているカウンセリングは体の感覚を追うことの練習をします。

ある体験に対して思考で無理やり説明しようとしたりするとカウンセラーが待ったをかけてくれ、もう一度体がどう感じているかに意識を向けます。

セッションで慣れてきたので、家でも体の感覚を追う練習をしています。

不快な感覚は体のどこからくるか、それはずっとそのままなのか、変化するのか、次に何が起こるのか。

これがとても疲れます。とてもつらいです。とくに喉元がつらくてたまに吐き気がします。怒りで震えます。感じなくてよいように楽しい動画やネットサーフィンに逃げたくなります。

ただ自分の体が少しずつ感じられるようになってきている気がします。

つらい体の感覚を思い出しながらも、大きめのクッションの触り心地が気持ちいいと思ったり、クッションの柔らかさを楽しむように押してみたり。

常に体がしんどい、重たい、体がなければいいのにと心のどこかで思っていたけれど、私の体も心地よさを感じることができるのだと気づきました。

世代的に思春期の頃はインターネットの世界に逃げていました。懐かしのネット小説全盛期でした。インターネットが無かったら非行に走っていたのかな、いやそんな元気はなかったな笑

できれば仮想空間に逃げずに体のケアができたらよかったのですが、そんな気の利いたものは実家にあまりなかった気がします。思えば自己ケアのやり方を全然知らなかったです。学ぶ機会もありませんでした。こんなことを言っても甘えにしかならないですが。

体の感覚に注意を向けることはとても疲れますが、少しずつ続けて自分の体の感覚を受け入れていきたいと思います。それができるのは私しかいないので。

ありがとうございました。

仕事で貢献することにどうしてこだわるのか

こんにちは。

仕事で貢献することにこだわりがあります。プロジェクトで私いらないよね?と思うとどんどん調子が崩れていきます。

世の中にはサボれると幸せな人もいますし、根を詰めずに適度に手を抜くことが良しとも言われるのに上手くできません。

人の役に立てること、感謝されることにこだわりがあると思います。

でも仕事で感謝されたり労われることは実際少ないと思います。

理想と現実のギャップに苦しんでいるわけです。

なんでこんなに役に立つこと感謝されることにこだわりがあるのか。

褒められたいのだと思いますし、褒められるようなことをしないと大変なことになると思いこんでいるのだと思います。

そして叱責されるとこれまた大変なことになると思い込んでいるのだと思います。また失敗するとお前は駄目だと言われることが怖かったです。

完璧を求められました。疲れました。

なのでできるだけ叱責されないように、人付き合いを避けがちでした。

過去に親がやってきたどえらい目と叱責が結びついているようです。

落ち着いて考えると過去にあったことと現在言われる叱責や非難に繋がりはありません。

なので叱責や非難に過度に怯えずに怖がらずに少し受け入れてもいいかと思います。

誰だって失敗するし、多少ショックなことを言われると思います。

当たり前のことだからそんなに怖がらなくていいはずです。過剰反応しなくてもいいはずです。

なので怒られたり非難される自分を、自分だけは受け入れようと思います。

ありがとうございました。