褒めるより話を聴いてほしかった
こんにちは。
勉強や運動、努力、継続が必要だとわかっているのに体が動きません。
少しやってすぐ止める、を繰り返します。集中できません。
なぜやらないといけないのに気が進まないのか、思いつくまま書いてみました。
努力をすることは、ざっくり、優秀さや良い子の象徴だと私は思います。
「良いこと」をしているとき、無意識下に他人からの視線が私の頭にあるようです。
他人からの期待、他人から褒められること>自分のご機嫌をとること
と心のどこかで感じているから、空虚感や幽体離脱しているような、誰かに操られている空っぽの人形みたいな感覚になってしまうのではないかと思います。
改めて正直になってみると、やらないとと思っても実際にはやっていないのだから、良いと言われていることほとんどやりたくないと思っています。
他人を喜ばせるようで、誰かの言いなりになっているみたいで、主導権を奪われている、人形のような感覚が嫌なのだと思います。
元来非常に真面目で非行に走る度胸もありませんが、そういった行為に走る人の気持ちが今なら少しわからなくもないかもしれません。お前に何がわかると言われそうですが。
型にはめる前に、もしくは型にはめられることに疲れ切ってしまって「思っていることが正しいか正しくないか良いか悪いかを置いておいて私の話を聴いて欲しい」、という気持ちは誰しも少なからずあるのではないかと思います。
型にはめられて人形みたいになるなら、多くの人が推奨しないことに「自分らしさ」を求める気持ちが出てくるのも少しわかるようなわからないような。
褒めるよりも話を聴いて欲しい。他の人からしたらどうでもいいことかもしれないけれど、毎日の毎秒のどうでもいいことが自分を作っていくので、実際はどうでもいいことではないと思います。
「なにげない毎日のことに耳を傾けることが人生を創っていくのに重要なことである」ということを肌でわかっている人は、なんてことないことに感謝するということが自然とできるのではないかと思います。
頑張った自分を褒めるよりも、何もしていない何気ない瞬間に私はどういった思考や考え方をするのか耳を傾けたいと思います。
ありがとうございました。